陸軍兵器支廠の礎石(広大霞キャンパス)

広島陸軍兵器補給廠(Wikiペディア)

穴神社「忠魂碑」

(表)

忠魂碑  陸軍大將大迫尚道謹書

(裏)

戰死病没者並戰役從軍者 年月日不明 忠魂坐碑

戰死病没者の部 明治二十七年 日清戰役 陸軍輜重輸卒 菅太郎  明治三十八年 日露戰役 勲八等歩兵一等卒松本勝太郎 等4~5名

戰役從軍者の部 明治廿七八年 日清戰役 陸軍輜重兵上等兵 廣澤鹿松 勲八等輸卒 河本徳松等8名 明治三十三年 北清事変 勲七等輸陸軍歩兵一等卒 木村吉松等5名 勲八等 同 池岡鶴松等4名 明治三十八年 日露戰役 勲六等 同 三等軍醫 杉岡岬 等56名  久保忠歌謹書 蓮形光利謹書等

 

陸軍砲兵中佐深山亀三郎君殉職碑

宇品の御幸松

宇品島南端信号塔

 ここに、旧陸軍広島運輸部が建設した信号所があった。
 戦後、第六管区海上保安本部が灯台に改造したが、建物、機器類の老朽化が著しいため に昭和46年3月この灯台を新設した。

宇品線跡

 宇品線は、宇品港が軍用港としてクローズアップされた日清戦争時の明治27年に山陽本線 の完成に併せて敷設された旧陸軍の軍事輸送専用線で、明治39年3月制定の鉄道国有法に より国鉄に移管されたものです。広島―宇品館5.9kmを着工からわずか16日間で完成。さら に、拠点の広島駅には軍用列車の引込線が整備され、終点の宇品駅には陸軍運輸部宇品支 部が設けられました。
 太平洋戦争が始ると、兵士や兵器を積み込んだ軍用列車が夜昼なく30分おきに入るほど、 慌しい毎日でした。宇品駅の軍用ホームが560mと当時としては日本一の長さを誇ってい たことからも、宇品線の果たした役割の大きさをうかがうことができます。
 広島に原爆が投下された昭和20年8月6日には、宇品―南段原間を3往復し、約3,000人の負 傷者を宇品凱旋館に収容しました。
 軍用線の役割を終えた戦後は、貿易港として生まれ変わった広島港の動脈として、地域住 民の足として利用され、広島市の復興を支えてきました。しかし、道路網の整備が進むに つれて、貨物・旅客数は減少し始め、ついに昭和47年に旅客列車は廃止され、1日1往復 のみの貨物専用線となったのです。
 そして昭和61年9月30日、宇品線は、92年の歴史に終止符を打ち、記念としてここに形 を残すことになりました。

   広島県広島港湾振興局
 
back to top