宇品陸軍糧秣支廠(Wikiペディア)
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現在広島市郷土資料館として利用されているこ
の建物は、明治44(1911)年竣工の旧陸軍糧秣廠
のかんづめ工場を改修したもので、外壁は当時の
ものがそのまま保存されています。
(広島)市内に残る他の明治時代の煉瓦造建築に
比べ、外壁の控壁や庇部分の細かな造形に工夫が
見られ、重厚な美しさを感じさせます。煉瓦は現
在のものよりやや大きめで、すべて国産のものを
用いており、長辺と短辺を交互に積む「オランダ
積み」で積まれています。また、屋根は今回の改
修で鉄板を銅板に改めているものの、当時の「瓦
棒葺」の工法で復元されているまど明治時代の洋
風煉瓦建築を理解するうえで貴重なものです。
明治27(1894)年の日清戦争の際、広島は、同年
の山陽鉄道の開通や宇品港の存在などを背景に、
大陸派兵基地として重要な役割を果たしました。
これを直接のきっかけに、広島は軍事都市として
の性格を強め。明治31(1898)年の軍用水道を手
始めに、市内に数多くの軍施設が建設されました
。この建物もそのうちのひとつです。
また、現在の建物中央部には、原爆の風圧によっ
て曲げられたものと思われる2本の鉄骨が保存され
ています。原爆投下直後には被災者の臨時収容施
設にもなっていたこの建物は、被爆の歴史を語る
貴重な証人でもあります。
昭和62年3月 広島市教育委員会
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- 宇品地区, 陸軍支廠