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広島県送出元満州開拓青年義勇隊物故者をまつる碑

碑文
この碑は生還者と遺族並びに広島県 市町村 各小中学校その他有志の協力によ って建てられた 広島県から出た約五千人の義勇隊員のうち諸君ら 八百六十一人は 満州の地で短 い生がいを終わった 1945(昭和20)年敗戦によって激変する環境の中で 人々は さまざまな死を迎えたが 諸君の死ほど この時代の歴史に刻み込まれなければな らぬ死は少ないだろう あの頃 青年というよりむしろ少年の幼さで親と別れ 彼 の地の土になろうとしての当然のさだめであったとしても 諸君のような若い身で そのさだめをもったことが僕らには悲しい 死んだ諸君 民族の融和は いま新しい時代の息吹をもってとなえられようとして いる この時代に僕らは思う「生きるとは何かを創ること」だと 僕らは これか ら自分で自分を創り 再びかかることの起らないために 民族融和の道を歩もうと 思う。

昭和35(1960)年3月20日 広島県の生還者一同しるす

陣歿 軍人・軍馬 追悼の碑/騎兵第五連隊跡

表面
陸軍中將 鈴木荘六 書
陣歿 軍人・軍馬 追悼の碑

裏面
騎兵第五聯隊創立以来各戰役ニ於ケル
戰病歿軍馬ヲ追悼スルノ餘リ西伯利出征
凱旋ノ秋建之

大正九(1920)年十一月十八日
騎兵第五聯隊将卒一同

日清戦争凱旋燈(草津八幡宮)

工兵橋

工兵橋(Wikiペディア)
< 爆心地から約2月3日キロメートル

工兵橋は、白島の陸軍工兵第五連隊(現在の安田学園の位置)と牛田の演習場を結ぶため、1933(昭和8)年に架けられました。原爆によって白島地区は、この工兵隊付近を除いて全焼しましたが、この橋は損傷が少なかったため、おおぜいの被爆者が渡って避難していきました。

写真説明:多くの被爆者がわたった工兵橋 1945(昭和20)年11月頃 米軍撮影
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