陸軍桟橋跡記念碑

 宇品に陸軍運輸部が置かれ、一筋の石積み の突堤が沖に向かっていた。広島の市民はそ れを陸軍桟橋と呼んだ。そうして日清戦争か ら太平洋戦争にかけて、兵らはこの突堤から 沖に待つ輸送船に乗り移り、遠い大陸と島と の戦場に送り出されるのが例となっていた。 彼らの多くが戦死し、再びこの突堤には戻ら なかった。
 戦争が遠く過ぎ、あたりは埋め立てなどに より姿を変えたが、今、埠頭の片側の岸にわ ずかにかっての面影をとどめる。
 わたしたちは平和のために、ここに陸軍桟 橋があったことの記憶を受け継がなければな らない。
   一九九八年(平成十年)十二月 近藤芳美 記
   陸軍桟橋跡記念歌碑建立委員会

About the Author

I'm Author description here. Go to Blogger edit html and find these sentences. Now replace these sentences with your own descriptions. Subscribe to Our Feed and Follow Me on Twitter My user

    Other Recommended Posts

  • 宇品地区, 記念碑
 
back to top